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◆赤外線カメラ (徳島県立博物館) |
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資料館の奥の常設展示室には、ひときわ目立つ大きな家が移築されています。江戸時代に建てられた旧佐藤和之家(広島字古屋敷2番地)の母屋です。
その造作は、「煙返し」(カマドの煙を表の部屋へ廻さないための工夫)に代表されるように、江戸時代の庶民の暮らしぶりを伝える貴重なものです。平成3年(1991)に、阿波学会と徳島県立図書館によって行われた「松茂町総合学術調査」の際には、棟札(建築の年号を書き記した木札)の調査から、文化12年(1815)の建築と推定されました。
しかし、その時には調査できずに残された棟札が1枚あったため、もっと古い時代の建物である可能性が残されていました。その棟札は、カマドの煤(すす)で真っ黒になっていたので、肉眼で読みとることが不可能だったのです。
資料館では、平成6年(1994)夏、残された真っ黒な棟札の解読作業に取り組みました。徳島県立博物館の協力を得て、赤外線カメラを用いて煤の下の文字を読みとったのです。そこには、「于時□□弐壬申歳八月吉日」(時に□□二年、みずのえさる、八月吉日)と記されていました。肝心の年号の部分はすり切れて残っていませんでしたが、十干十二支が「壬申(みずのえさる)」で年が「弐年(2年)」となる組み合わせは、江戸時代で「宝暦2年(1752)」であることが分かりました。旧佐藤和之家の母屋は、文化12年より50年以上も前に建築された家であったのです。
宝暦という時代は、江戸では宝暦元年に八代将軍徳川吉宗と江戸町奉行大岡忠相が相次いで没し、幕府の政治体制が大きく変化した時代でした。また徳島藩では、宝暦2年(1752)に、松茂など下板地方の利水を改善するために、吉野川本流に第十堰が築かれました。
実に旧佐藤家母屋は、その時代から松茂の人々とともに年月を重ねてきた「歴史の証人」なのです。 |
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