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江戸時代の郡代の報告書『板野郡一昨年以来御用方相手掛候申上帳』によると、享和元年(1801)秋に、2度の洪水がありました。旧吉野川流域では、各所で堤防が壊れ、家々が流され、人や家畜が大きな被害を受けました。
広島でも、洪水で土地が川に沈み、人々が生活に行き詰まり困窮したことが報告されています。
この享和元年の洪水は、後々まで語りつがれた「大洪水」(嘉永や安政、慶応の大洪水)ではなく、繰り返しおこる比較的小規模な洪水ですが、治水・防災の技術が発達した現代の私たちの感覚からすれば、たいへんな被害が発生しています。嘉永や安政、慶応の「大洪水」たるや、その脅威と被害は想像もつきません。 |
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◆享和元年(1801)の洪水のようすが記された板野郡代の報告書
(国文学研究資料館史料館所蔵「蜂須賀家文書」) |
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