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嘉永7年(1854)の11月4日・5日、大きな地震とそれにともなう津波、またひどい地鳴りの連続、地割れなどにより、多くの建物が倒壊しました。後に「安政南海・東海地震」と呼ばれる大地震がおこったのです。
松茂の人々は木津や大谷の山へ避難し、地震が静まるのを待つほかありませんでした。
後にこの地震の状況を後世に伝えようと、各地に記念碑が建てられました。松茂でも、中喜来の三木家第九世與吉郎が、地震の惨状を記録した「敬諭碑」(松茂町指定有形文化財)を、中喜来春日神社境内に建立しました。
松茂に残された江戸時代の記録には、安政南海・東海地震以外にも地震や津波がおこり、人々が被害を受けたことが記されています。 |
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◆松茂町指定有形文化財 敬諭碑 (中喜来春日神社境内) |
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