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松茂の新田開発
満穂・豊久
松茂町指定有形文化財 豊久開基碑
◆松茂町指定有形文化財 豊久開基碑 (松茂運動公園)
 満穂は、早渕村(現在の徳島市国府町)の藍商後藤万兵衛(善右衛門)が、文化12年(1815)、干拓事業に着手し、文政3年(1820)に完工しました。

 豊久は、徳島城下の商人の阿部豊吉と叔父の阿部久左衛門が協力して、文化14年(1817)に着手し、文政3年(1820)に満穂新田と共に完工しました。豊久の地名は、豊吉の「豊」と久左衛門の「久」をとって名付けられたものです。また、豊久を別名「郡六」というのは、阿部家が屋号を「郡屋六右衛門」と称したため、その名にちなんでいます。
ふぅ〜ん、そうなんだ。
 
「御海老」の古文書
◆「御海老」の古文書 (笹木野春日神社文書)
江戸時代、藩主(殿様)にかかわるものはすべて尊重された。鷹のえさのエビですら「御海老」と呼ばれ、民衆の生活を犠牲にしてまでも保護された。身分制社会の不条理をよく示している。
民衆生活と殿様の鷹狩り
 文政年間(19世紀はじめ)、笹木野村や住吉新田では、村中に水があふれ続けるという事件がありました。下流の満穂・豊久新田の干拓工事に際し、排水路を勝手につけかえたのが原因でした。

 笹木野の村人は郡代に抗議し、排水路の復旧工事を主張しましたが、郡代は「その排水路には殿様が狩りに使う鷹の餌のエビ(御海老)がいるので、現状変更は認められない」という理由で却下しました。怒った村人は、「箱訴(直訴)も辞さず」と繰り返し抗議しました。
人間よりエビが大切なんておかしよ!
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