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江戸時代、松茂沿岸の新田開発は、おもに「干拓」という工法で行われました。「干拓」は、現在主流となっている「埋め立て」と違い、人間の知恵と自然の力を融合させた土木工法です。
「埋め立て」は、海中に壁を造ることによって海を閉め切り、海底の土砂や山土を投入して陸地に造成する工法です。海底の土砂を汲み上げるサンドポンプの開発や、山土を海まで運ぶダンプカーやベルトコンベアの発達によって実現可能になったのです。
しかし江戸時代には、サンドポンプもダンプカーもベルトコンベアもありません。人々は「干拓」によって松茂の沿岸を陸地化し、新田を開発しました。 |
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【1】
「干拓」は、干潮時に陸地(干潟)になり、満潮時に浅い海になるような沿岸部を、まず土や石の堤防で仕切ります。住吉新田を「干拓」する際に描かれた「笹木野新田用水絵図」(国文学研究資料館史料館所蔵「蜂須賀家文書」)にも、立派な石積みの堤防が描かれています。
【2】
この時、堤防に排水用の水門を造っておくことが重要です。人々は、干潮時を見計らっては排水門を開け、堤防の内側に溜まった水を外へ流します。満潮時には排水門を閉じ、海水が堤防内部へ逆流しないようにします。先の絵図にも、夜間の作業に対応する常夜灯を備えた大きな排水門が描かれています。 |
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【3】
やがて堤防内をより効率的に排水するため、排水門へつながる排水路を堤防内部に数多く整備します。絵図には、西から東へ流れる排水路が四本描かれていますね。また、排水路を堀るときに出た大量の土砂は、堤防内の低い土地をかさ上げする盛り土にもなりました。
【4】
堤防内の排水が完了し、低地のかさ上げが完成すると、今度は近くの河川や用水路から、堤防内の排水路に真水が引き入れられました。土壌の中に染み込んでいる塩分を溶かしだして、作物の生育に適切な土壌に改良するのです。絵図には、広島から笹木野を経由して堤防内の排水路へ流れ込む用水路が描かれています。
こうして江戸時代の人々は、松茂の沿岸部を新田に開発していったのです。古絵図をよく観察すると、江戸時代の土木技術の一端を学ぶことができますね。 |
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