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◆松茂町指定史跡 三好長治終焉の地
(豊岡招魂社境内) |
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勝瑞城主であった父の三好義賢(みよし よしかた)が戦死した後、阿波・讃岐(現在の香川県)・淡路(現在の兵庫県)の国政を執り、松永久秀・織田信長に対抗する三好三人衆を助けて、たびたび畿内で戦うなどすぐれた戦国武将でした。
しかし、元亀元年(1572)に、あやまった噂から家臣の篠原長房を滅ぼし、自らの政治力を低下させました。また、阿波の民衆すべてを日蓮宗に改宗させようとした「法華騒動」をおこし、民心の反発をかい、晩年は不遇でした。
天正5年(1577)に、荒田野(現在の阿南市新野町)で謀反した家臣たちと合戦になりましたが、進撃できず、退却の途上で敵側の猛追にあい、淡路に逃れる途中の別宮浦(現在の松茂町長原と豊岡の境)で自刃しました。 |
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